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四方山Column !
音山ライトの雑記!
相方のおばさまの自家製らしい。
子供のころ、普通に食べる柿は大がつくほど好きだった、しかし干し柿は大嫌いだった。
干し柿の見た目が食欲を減退させたし味も美味しいとは思えなかった。
だからって干したものがすべて嫌いというわけではなく、※きんりーは大好きだった。
大人になってからは干し柿も徐々に食べられるようになり、送られてきた干し柿を食べてからは大好きになった。それはそれは天然スイーツとして格別な美味さだ。
※先日たまたま見ていたテレビに、実家から数十キロ離れた場所の農家の方が出ていた。
インタビューのなかで、このあたりでは干し芋のことを「きんりー」」と呼ぶという話が出てきて、
記憶の淵から零れ落ちそうになっていた懐かしいその言葉を思い出した。
ついでと言ったら怒られるが、おばあさんの顔も浮かんできた。
送られてきたときに撮った干し柿の写真。
うまそうずら!どうよ。
最近デジタル一眼レフカメラが流行っているらしい。
その流行に乗じた訳ではないが、私もcanonのx2ダブルズームセットを手に入れた。
当初、一眼レフカメラ初心者の私がどの程度の機種を購入するべきか少々悩み、それをカメラ通の友人に相談してみた。
友人は即座に入門機をすすめてきた。
理由は、初心者は入門機を使い倒しカメラの機能や撮影技術をマスターすることが大切で、いきなり中級機以上を購入しても、豚に真珠、猫に小判、犬に株券になる可能性があるという。
たしかに〜!ってことで入門機を使い倒すことに決めた。
購入後バンバン撮りまっくっているが、らしい写真になかなかお目にかかれない。
一年後、たまに引っ張り出して記念撮影に使っているだけなのか、中級機購入を思案しているのか......どっちだろう!
(12月7日の月)
(鉄塔のある風景)
(葉が落ち、田園に佇む木)
遠州灘。
それは静岡県の御前崎から愛知県の伊良湖岬に至る海域。
少年の頃の私はこの海岸の一部分でよく遊んでいた。
毎年時期になると父は潮の満ち引きが分かる小冊子で大潮の干潮時を調べ、小学生の私や家族をハタミ(ハマグリに似た貝)捕りに連れ出した。
大潮の干潮時は数十メートル沖まで浅瀬が広がり、当時はあっという間にバケツ一杯のハタミが捕れた。
中学生になると友達とその海岸に釣りに出かけた。
キス、イシモチ、ハゼ、カレイなどが釣れた。
釣りに飽きると砂浜でバク転の練習をしたり、防砂林越しの畑からスイカを許可なく頂きスイカ割りなどをしていた。
農家の方ごめんなさい。おいしかったです。
冬の満月の夜には蟹釣りに出かけた。
仕掛けは、それ専用の網にイカの切り身を縛りつけたもの。
投げ釣りと同じ要領で行うが、遠くまで飛ばない。
さすがに冬の夜の砂浜は寒い。そこで防砂林越しの畑からサツマイモを許可なく頂き焼き芋にして食べた。
※夏はスイカ、冬はサツマイモを栽培していた。
農家の方ごめんなさい。温まりました。
高校生の頃は、この太平洋の水平線のずっと向こうのアメリカ大陸と自分の将来に思いを巡らせていた。
後に地図で確認したところ、水平線のずっと向こうはオーストラリア大陸だったことが判明。
あ〜勘違い!ってな訳で、思い出深き海岸でした。
(砂浜に打ち上げられた流木)
(御前崎の海岸)
ここは、天照大神の岩戸伝説など神話の多い神社です。
詳しくは下記のURLへ。
http://www.togakushi-jinja.jp/shrine/index.html
東京を出たのが午後と遅かったので、大きく分けて三か所ある奥社、中社、宝光社のうちの
奥社にしか行けなかった。
この奥社は駐車場から徒歩で2キロほど、走っても2キロほど、スキップでも2キロほどの場所にある。
途中までは緩やかな上り坂と樹齢数百年の巨木杉群が優しく導いてくれる。
ところが、気持ちを試すかのようにあと一息のところから急な石の階段になっている。
山登りの素人にはこれが結構きついが、やっと登りきった時の心地よい疲労感と辿り着いた感はなかなかである。
そして、奥社とその横にある九頭竜神社に参拝し、しばし体を休め、日が暮れる前に下山。
(駐車場そばの蕎麦屋、帰りに食べようと思っていたが既に閉まってました。)
(歌川広重の絵にありそうな、巨大なお杉さん達。ピーコはやだろうな!
奥に人が二人、もしかして....)
(写真中央の下部分に青くぼんやりと不思議な光が...)
(ここが奥社)
(奥社からの眺め)
とにかく気持ちのいい場所である
この日がまだ二度目の参拝だが、年に一度は行きたいと思っている。